我が町の造り酒屋 [遊び・旅行]
明日から雛展とランチのダブルを二人でこなす予定。
今日も忙しく、花を飾ったり、ランチの用意したり、掃除をしたり・・・
写真は撮ったけど、まだまだやらなければいけない事がいっぱいあるので、
前に書いたのをアップします。今日の写真は明日の予定。。。
最近雪が少ないので、天気の具合を見ながら散歩をしている。
用事があって歩いて行ける距離であれば、吹雪でなければ歩くようにしている。
久しぶりに用事で我が町油川のメインストリート(大浜)を歩いた。
造り酒屋とその前にあるこみせが昭和そのもので、ずっと残したい風景。。。
(スマホなので、画像が悪くてすみません)
ここから続くこみせ風景
こみせとは、商店が連なる所に今でいうガード。(一軒幅の軒下で、雨雪から避ける)
私たちが小学校の時は、小学校に行く両脇ずら~っと連なっているので、
冬の通学はここを通って行くと危なくなく、楽だった。
この反対側の軒下を歩いていると、文房具やも、駄菓子屋も、味噌屋もあった。
古き良き時代である
今はこの造り酒屋、西田酒造の前だけになり寂しいが 、これも時代の流れだろう
今は、観光として残している、黒石市のこみせ風景だけ。
油川も私が小学校の時、こんな感じだったよ
そろばん塾の帰り、駄菓子屋に寄って、10円でいろいろ買って食べながら帰る。
そろばん塾は親が行けというから、仕方なく行ってただけで、
私の楽しみは帰りの駄菓子なので、ちっともそろばんは上達しないまま、
4級どまりでやめた。そんな今の自分とは全く違う、やる気の少ない少女だったのだ。
笑
西田酒造は 1877年創業の青森市唯一の酒蔵。
「田酒」「喜久泉」の醸造元で、今は「田酒」の人気は高まり、地元でも
なかなか手に入らなくなってしまった。
そのためか、家から海の方に歩いて2,3分の場所(犬の散歩コース)に
第二のお酒を造る場所を確保し、製造をしているようだ(外から見えないので)
私の写した西田酒造の最後の端にこういう碑があると思う。(5枚目写真)
ここは江戸時代、羽州街道の終点で、松前街道の起点であった場所で、
「羽州街道・松前街道 合流之地 」という目印の碑を置いた。
今は青森市の田舎のように言われているが、昔は青森より栄えていた油川なんです。
(笑)