43年前、東京への荷物は竹こおり [思い出]
高校卒業して、初めて東京に出て来る時の荷物は段ボール1、2個 と布団袋と
洋服をこの竹こおりに入れてチッキ(鉄道荷物)に積んで来ただけ。。。
だって、中学卒業して集団就職して働く子たちを「金の玉子」と言って、
とても貴重な働き手で、私の中学の同級生も半分就職した。
私も集団就職をした同級生を駅まで見送りに行った記憶がある。。。
高度成長時代の時で、東京ではまだスモッグ注意報が時々発令されていた。
羽田空港まで車で送って貰った時、川崎周辺の工場の煙突から出る火と煙は凄かった
そんな時代の この竹こおりはまさに「三丁目の夕日」を思わせる品物。
その竹こおりが蔵2階から出て来た。その時の下宿の住所を布に書いて貼り付けたまま・・・
横浜市鶴見区獅子ヶ谷町だって・・・ 一年だけ下宿して、その後大田区の雑色に移った。
鶴見駅から綱島行きのバスに乗って、途中で下りたんだよたしか
それにしても、この竹って、強いね。。。
このこおりはこの時買ったわけではないから、もっと古いものだから、5.60年。
まだ全然壊れそうもないから、「自然素材って、素晴らしい」と思った。
これと一緒に出て来たのが箱に入ったレコード。
買った覚えもない昔の歌手のレコードなのである。
村田 英雄、バタヤンと言われた田端 義夫、春日 八郎、三波 春夫。。。
今はみんなこの世にいない人になってしまった
園 まり、山田 太郎なんて、懐かしい。。。今頃何してるんだろう
どうして、自分の好きで買ったのと一緒にあるのか不明である。
だって、むしろ演歌嫌いだったんだもん
袋に入ってなかったけど、こんな人も・・・
都 はるみは知ってるけど、二宮 ゆき子って、誰さぁ~ って、感じ
極め付けはガスバッカス。。。
この曲はとても記憶がある。。。 もちろん私が買ったわけではない
父は左官業をやっていて、職人、弟子がいて、弟子が住み込みで働いていた。
今の仕事場の2階(年末片付けていた所)に住んでいて、ご飯は一緒に食べていた。
その若者弟子がガンガンかけて聴いていて、自然に耳に入り、この曲は大好きだった。
youtubeで聞いたら、懐かしかった 特に最後の笑うみたいな掛け声が好きだった
今日のお別れはこの曲で