干支のフリーカップ [仕事(焼物・美術工芸)]
先月の19日から痛くなった右脇。
すぐ帯状疱疹だと気付いて病院に行ったのに、結局見た目には何も発疹が出なかった。
1週間抗ウィルス薬を飲んでるので、帯状疱疹は治っているのだと思うが、
何しろ、全然発疹が出ないと、患ったのも治ったのもわからない
ただ痛さだけは本当にどうにもならない眠れない痛さは通り越したのだから、
ピークは過ぎたのだろう もう3週間以上経った今でも、まだ痛い
我慢出来る痛さなので、反対に仕事をして気を紛らわせてはいる。
でも、どこも外傷がなく肌は普通なのに、まるで 殺傷した傷に触られたような
ひりひりする痛みを感じるのは何とも不思議な気持ちがしてならない
時々神経痛のような痛みが胸から背骨に刺さったように胸も背骨も痛い。
帯状疱疹後神経痛にならないために、発疹も出ない早い時期に病院に行ったのに、
その早い対応もむなしく、ずっと痛みが続いているという事は帯状疱疹後神経痛なのだろう。
なんか、自分に納得出来ないけど、これが現実かなと・・・
そのためのペインクリニックにも2回行ったが、結局薬の副作用に負けてしまった
でも、こちらの病院も元を治す のではなく、対処療法なだけだから、
私が痛みを我慢できるのであれば、行っても行かなくても同じ事。
後は自然治癒力を信じ、早く神経痛の痛みが治ることに期待を掛けるしかない。
保険外のビタミンC点滴も考えたが、これも先生の診察があり、投与されるらしい
とわかったので、どうしても治らなければ、考えてもいいかなと・・・
今の状態は五十肩の神経痛版のような状態である。
この14年間風邪で病院に行った事がないのが自慢で、若いつもりでいたけど、
完全にシニアにどっぷり浸かっているんだなぁ~と自覚させられた今回の病気だった。
どんな大きい事を言っても、「痛み」って、自分の弱さを自覚するものだ
もし自分が戦争時代に生まれて、共産主義者で転向を迫られる拷問を受けたら、
すぐ、観念するだろうなぁ~って・・・
それぐらい、痛みに弱いし、意志も弱いのかもしれない。
正月前に北海道の帯広の方から電話で注文を受けて、すぐ送った。
元旦に、お礼と共に写真付きで賀状メールが届いた。
「明けましておめでとうございます。
フリーカップ届きました。
ありがとうございます。
家族4人の干支が、揃いました。
青森に行くとき、また、寄らせて頂きます。」 と・・・
なんかこの干支の顔をした素敵な4人家族がうっすらと見えて来た。
朝日か夕日を浴びた食卓で、それぞれのマイカップでお茶や他の飲み物を
飲んで、談笑してる光景。。。
そんなことを想像してたら、体の痛みも少し薄らいで来た。
痛みというのは、脳で感じて指令が出されるのだから、脳内メーカーを
「痛いいたい」 から、違う文字に替える事で少し軽減されるのかもしれない。
痛さを包み込んでくれた、心温まる嬉しい賀状メールで気持ちが円やかになった。
それにしても写真を見ていたら、毎年同じ大きさで作ってるつもりが、
年によってこんなに違うんだなぁ~と・・・
まぁ~手作りで、同じものが二つとないと言う事で勘弁してください。。。
こうしてメールを送っていただき、いつまでも大切に使ってくれそうで、作り手冥利に尽きる。
写真付きのお礼の賀状メール、とても嬉しかったです
有難うございます